2011年3月15日火曜日

大塚 愛がデビュー7周年記念ライブで妊娠を発?

<大塚 愛【LOVE IS BORN】? 7th Anniversary 2010 ?>が、9月11日と12日の2日間、横浜赤レンガパーク野外特設ステージにて開催された。このライヴ中、大塚は、約1万6000人のオーディエンスの前で実は妊娠3ヶ月であることを電撃発表した。

◆大塚 愛 画像@<大塚 愛【LOVE IS BORN】? 7th Anniversary 2010 ?>

大塚 愛のライヴ<LOVE IS BORN>は、大塚 愛の誕生日(9月9日)とデビュー日(9月10日)を記念して、2006年から行われているもので、2010年で5回目の開催。これまでは日比谷野外音楽堂で開催され、2009年は豪雨の中でライヴを強行。雨に打たれながら熱唱する大塚 愛というドラマティックなステージは、ファンにとっては記憶に強烈に残るものとなっていることだろう。

そんな<LOVE IS BORN>が、2010年は拡大版として横浜に移動。また、ライヴだけでなく、99周年を迎えた赤レンガ倉庫と、大塚 愛の誕生日のコラボ企画「LOVE“99”Anniversaryパーク」が出現。通常のグッズやCD販売以外にLOVE、AMUSEMENT、FOOD&DRINKのカテゴリーからなる様々なブースが登場した。

ライヴは、横浜の海をバックにした幻想的なステージで、ピアノの弾き語りで歌う「愛」からスタート。個性的ファッションに身を包んだダンサーが登場する「アクション10.5」「LUCKY☆STAR」や、沖縄民謡風にアレンジされたデビュー曲「桃ノ花ビラ」、花火の演出で会場を盛り上げた「プラネタリウム」など全20曲を歌唱。また「CHU-LIP」では6月25日の入籍を受けて、ウエディングバージョンの演出を実施。会場に集まったファンに祝福される中、子役の男の子とバージンロードを歩くシーンも登場した。

また、アンコールのMCでは、「先日の9月9日の誕生日は、旦那さんと過ごす誕生日になったのですが、実は3人で過ごしました」と、現在妊娠3か月であることを電撃発表。会場全体が幸せな雰囲気包まれる中、2010年の<NHK全国学校音楽コンクール>中学校の部?課題曲になっている最新シングル「I ? ×××」(アイ?ラヴ)を40名を超えるコーラス隊と、会場のファンたちとともに大合唱した。

なお、大塚愛がプロデュースした横浜赤レンガ倉庫の店舗とのコラボフードは、一部の店舗で引き続き販売中。

<大塚 愛【LOVE IS BORN】? 7th Anniversary 2010 ?>
セットリスト
01 愛
02 Is
03 ゾッ婚ディション
04 ハニカミジェーン
05 アクション10.5
06 Always Together
07 桃ノ花ビラ
08 ネコに風船
09 金魚花火
10 LOVE LETTER
11 恋愛写真
12 プラネタリウム
13 Birthday Song
14 ロケットスニーカー
15 さくらんぼ
16 未来タクシー
17 LUCKY☆STAR
EN1 チケット(9月12日のみ)
EN2 CHU-LIP
EN3 I ? ×××
EN4 さくらんぼ(9月12日のみ)


【関連記事】
◆大塚 愛からのコメント動画
◆びしょ濡れ大塚 愛、日比谷野音で6周年のバースデーライヴを雨天強行(2009年の【LOVE IS BORN】レポ)
◆大塚 愛オフィシャルサイト
大塚 愛、「横浜赤レンガ倉庫」に運命の出会い?
大塚愛とSU(RIP SLYME)のコラボビデオがランキング急上昇


引用元:三國志 専門サイト

2011年3月9日水曜日

オードリーが『いきなり!黄金伝説。』レギュラーに! タカトシ、濱口に宣戦布告

 4月にゴールデン進出10周年を迎える人気バラエティ番組『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)に、4月15日の放送よりお笑いコンビ?オードリーがレギュラーとして加わることが決定し、お披露目会見が行われた。春日俊彰は「春日のテレビ朝日でのゴールデン初レギュラー権を引き当てた『黄金伝説』をほめてあげたい」と得意の“上から目線”がさく裂。すると
若林正恭は「いや、アナタ、すごく喜んでいたじゃないですか、この話が来たとき。なんで、こういうインタビューになるとエラそうになるの(笑)」と春日の本性を暴露した。

 『黄金伝説』では、過去に“人気ファミリーレストランの全メニューを食べ尽くし”や2009年年末5時間スペシャルで八丈島での“サバイバル0円生活”で100キロを超える巨大エイを追う
などの伝説に挑んできたオードリー。毎回スタジオに登場するレギュラーとなる。今後やってみたい“伝説”について若林は「僕は基本的にやってみたい挑戦はないんです(笑)」と告白。だが、「八丈島に行った時に、自分の中に野性の部分があるんだなということに気付いたので、それがなんとかできたらな」と“野性”の存在をアピール。春日は「僕は全部の伝説挑戦に トリーバーチ
顔を出したいな」とぶち上げ、「一番やりたいのはサバイバルのときにやった素潜りで、なんとなくコツをつかんだぐらいのところで終わってしまっているので、素潜りの対決を(よゐこの)濱口(優)さんと挑戦させてもらいたいですね」と、得意フレーズ「獲ったど?」でお馴染みの“野生児”濱口に対抗意識を燃やした。

【写真】よゐこの濱口、3時間スペシ
ャルでギャル曽根チームと「東京ディズニーリゾート」でグルメ対決!

 また、ほかのお笑いコンビとの対決について、春日は「(タカアンドトシの)タカさんが春日に相当なライバル意識をもっているので、ちょっとひとひねりしてあげたいな」とタカに宣戦布告。「オードリー対タカトシさん、というのをやってみたいですね」と怪気炎を上げていた。 ティファニー ネックレス


 オードリーは、2000年にお笑いコンビ?ナイスミドルとして結成。2005年4月にオードリーに改名。2008年12月、『M-1グランプリ2008』(テレビ朝日系)で敗者復活戦から勝ち上がり、総合2位を記録し大ブレイク。その後も、「トゥース」「鬼瓦」などのネタで一世風靡した。CSテレ朝チャンネルでは『オードリー春日のカスカスTV』(木曜、後11時)が4
月8日からスタートする。また、春日が、地上波初の単独でのテレビ番組司会に挑戦する『学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!』(テレビ朝日系 水曜?深夜1時21分?)が4月7日より放送開始。

【関連】
オードリー、『黄金伝説』サバイバル0円生活に初挑戦。水中着も“特別仕様”! (09年12月18日)
オードリー?春日俊彰、単独で番組司会に初挑
戦!! 学生の才能を発掘する“大統領”に (10年03月31日)
オードリー春日、本格的な“役者進出”を示唆! 「本が良ければ断る理由は無い」と相変わらずの“上から目線” (10年01月15日)
『黄金伝説。』人気企画「1か月1万円生活」が2年ぶりに復活 (09年01月21日)
タカトシ、究極の黄金伝説は“ポニョ捕獲”!? (08年09月18日) MBT 靴

引用元:三國志 専門サイト

2011年3月2日水曜日

<中国で働く>まもなくTBS放映のドラマ「記憶の海」、原作者の上海在住日本人をインタビュー(2/4)

■映像ディレクター+ギャラリーショップ運営: 松田 奈月 さん

09年、TBSと講談社が開催した「第2回ドラマ原作大賞」の受賞作である「記憶の海」が、今月22日から4夜連続でテレビドラマとして放映されることが決定した。全916本の応募作品の頂点に立った同作は今月、書籍としても出版された。その原作者は中国在住歴10年の女性で、中国ではおそらく知らない人がいないほど有名な日本語のテレビ番組の企画者であり、ディレクターでもある松田奈月さんだ。

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■帰国を考えたときに、上海の仕事が舞い込む

学校も終わりに近づくとだんだん授業も減り、松田さんは早速実践を試みる。

「新聞広告で見つけて、中国のローカルのテレビ制作会社に働きに行ってみたんです。語学力も技術もないのにカメラマンになりたいという私を珍しがってもらって、とても良くしてもらったのですが、あまり仕事がなくて……。週に1回ロケがあるかないという感じで、社員は社長も含めて3人、朝は新聞読んでお茶飲んで、ビルに共同シャワーがあったので、週3回は昼休みにスタッフと一緒にシャワーを浴びて、午後は髪を乾かしながらまたお茶飲んで、みたいな(笑)。1か月過ぎたころに、これは楽しいけど、ずっと続けても仕事ないなと(笑)」。自分のできることがあまりに少ないと感じて、その後日系の広告代理店に移るが、マーケティングや平面の仕事が中心で、映像の仕事はなかなか回ってこなかった。1年半勤めたあと、体調を崩した松田さんは、ついに帰国を決意する。

「荷物も詰めて、部屋も引き払おうと。もう3年いるし、いいタイミングかなと思って、インターネットで日本の仕事を探したんです。中国の映像関係ないかな?と思って見ていたら、日本のテレビ番組制作会社で上海の現地ディレクターがほしいというのを見つけて。上海に面接に行き、経験はなかったのですが、やれますと言い切って(笑)。面接の後そのまま上海で部屋を探し、日本に送ろうと思っていた荷物をそのまま北京から上海へと送りました」。

運命の女神も彼女に味方していたに違いない。そのサイトには応募フォームにエラーがあったのか、彼女が面接を受けるまでは、彼女しか応募者がいなかったそうだ。

「上海に来たら、あまりに便利すぎてびっくりしました。北京では(当時)夜8時過ぎると何も買い物できなかったし、治安は悪いし、道は暗い。でも上海では家の周りにコンビニが3軒もあって。安全だし」。

最初は自分のアパートをオフィス代わりにしていた。任された仕事は、関西テレビで深夜に放送していた番組「あじゃぱー」の現地スタッフ。台湾?香港?ソウル?上海からの面白ネタを、日本語を話す現地レポーターが伝えるという内容で、松田さんはそのネタ収集と、現地映像の制作を行った。

「日本語のたどたどしい現地レポーターたちが、ゆるく面白く街のあれこれを紹介してゆく番組で、経験のなかった私も一緒に手探りで作っていた感じでした。カメラマンは中国人だったのですが、『そんなところでカメラを振る?』みたいなのも受けたみたいで(笑)日本のスタジオの司会者からつっこみがバシバシ入っていました」

“朝の公園で木に抱きつく人”“羽化しかかったゆで卵”など、自分のアンテナに引っかかる面白ネタを探しながら、そのころ月の半分以上を上海の街を歩いて過ごしたのが、今でも大きな財産になっているという。

■ついにディレクターとして上海での初仕事!

1年ほどして、番組は終了を迎えた。

「それならば、上海で逆にそういう番組を作ってみたいなと。中国にいると、外国のそういう生きた情報を見せるような番組はなかなかないじゃないですか」。

早速企画とパイロット版を作って彼女たちはスポンサー探しを始めるが、ノウハウがなくてなかなか見つからない。上海でのパートナーが制作会社を立ち上げ、日本から上海に撮影でやってくる番組制作のコーディネーター等をしているうちに2004年、番組制作の話が舞い込む。それはavexが上海TV?音楽チャンネルで放送を開始したばかりだった「節奏日本?リズム?ジャパン」だった。

「当時、中国での番組制作を任せられるところを探しているというお話を聞いてテスト版を制作し、最終的に毎週放送の番組制作を受けることになりました。それまでの仕事は日本に素材を送って、仕上げや編集は日本任せでしたから、全ての仕上げまでを行うディレクターとしてはこれが初仕事です」。

もとはスタジオ収録で、VJがビデオクリップを紹介する形式だったが、「せっかく日本の音楽を紹介する番組だから」と、スタジオ部分を日本での外ロケに切り替えた。毎週、音楽だけでなく幅広く日本のカルチャーを紹介。そのロケで訪れた場所のひとつが、アマチュア?アーティストの作品や作家物の雑貨を並べる、東京のとあるひと坪ショップだった。

「こんなスペースが上海にもあったらいいのに、とお店の人と話していたんですよね」。

それが数年後に、写真にあるお店として実現することになる。(取材?文/浅香来)

■記事提供?カモメ中国転職+アジア
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引用元:SALE-RMT ゲーム通貨とWebMoney販売 買取 SALE-RMTは安心をあなたに